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創設者 伊藤賢治のあゆみ

伊藤賢治の足跡

1885年(明治18年) 4月16日、伊藤賢治、父・貞蔵と母・ナカとの長男として、愛媛県周桑群丹原町に生まれる。父・貞蔵は賢治が20歳の時死亡。母・ナカは丹原町愛国婦人会分会長として活躍し、昭和16年74歳の長寿を全うした。後に賢治は『母の想出』なる小冊子を発行、母を称えている。
1901年(明治34年) 丹原町丹原高等小学校を卒業。
1905年(明治38年) 愛媛県立西条中学校を卒業。
1911年(明治44年) 大阪市関西学院卒業後、上京し、いわしや岩本器械店入社。いわしや岩本は、当時医科器械の元祖として知られていた。これが賢治の医療器研究に捧げた歴史の源になった。
1915年(大正4年) いわしや岩本器械店レントゲン部長として渡米。スタンフォード大学でエタムス教授の指導のもとに電気生理学を学ぶ。5月、シカゴ市ビクター・エレクトリック・コーポレーションでレントゲン及び高周波電気治療器の製作技術を習得。
1915年(大正4年) 『医理学界の進歩』を著わす。
1916年(大正5年) 『東京医療器械新報』を創刊。
1917年(大正6年) 本郷赤門前に電子医療の研究所を創立して、所長兼技術者となる。わが国最初の交流式レントゲン製造に成功する。
1919年(大正8年) 6月、レントゲン線を米穀に放射し増産する研究に着手し、わが国電子農法への基礎を築いた。
1920年(大正9年) 電気補聴器、卓上電話機を製作。米国の紫外線治療器ヴァイオッタにならって、ラジオレーター商会設立。
日本電子治療器財団
1922年(大正11年) 米国にてラジオ放送が開始され、欧米漫遊の旅に出発。米国RCA、ウェスチングハウスにてその技術を習得。帰国後、無線機並びにラジオ受信器の作成をし、わが国のラジオ放送の開設に尽力。
1923年(大正12年) ラジオに関するわが国最初の単行本『無線の知識』と『ラジオ組立法』を発行。次いで『無線と実験』、『ラジオと自作』を創刊。ラジオ電気商会を設立する。日本電子治療器財団日本電子治療器財団
1930年(昭和5年) 日本放送協会(NHK)の創立に尽力
1933年(昭和8年) 『一円の医者』を雄工舎より発行する。
1934年(昭和9年) ドイツで超短波治療器が発明されてと、ベルリンに渡り、シュリーハーケ教授のもとで実地見学をし、帰国後、わが国最初の医療用大型超短波治療器の製作、発売をする。『超短波治療器』、『超短波治療術』を雄工舎より発行。
1935年(昭和10年) ドイツ・シーメンスによる電子メス製作を知り、花火式高周波発振器による電気メス
1936年(昭和11年) アコマ新年大会で講演する伊藤賢治 当時のアコマ治療器は現在の超短波治療器開発のいしずえとなる日本電子治療器財団
1959年(昭和34年) 世界医療器の泰斗・ベックマン博士(右)と歓談する伊藤賢治日本電子治療器財団
1964年(昭和39年) 表彰される人体波運動の功労者日本電子治療器財団
1965年(昭和40年) 日本赤十字社より”金色有功賞”受賞日本電子治療器財団
1966年(昭和41年) 新年大会のレセプションにゲスト出演した東海林太郞と記念撮影日本電子治療器財団
1969年(昭和44年) 新年大会 ユーモアたっぷりにあいさつする伊藤賢治日本電子治療器財団
1972年(昭和47年) 新春定例学会にてあいさつする伊藤賢治日本電子治療器財団日本電子治療器財団

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